篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも(◎_◎;)
前回の裂田溝に続いて今年のGWは「四王寺山」に行ってきました。四王寺山は古くは大野山とも大城山とも言われ、665年に大野城が築かれたことで、日本の防衛という重要な役割を担った場所でもあります。
110年後、奈良時代の774年に四王寺が創建されました。当時外交関係が緊張していた新羅の日本への呪詛の動きに対し、大野山の清浄な地を選んで四天王像を安置し、呪詛を祓い国を護る祈祷をすることが目的でした。これ以降、四王寺山と呼ばれるようになったと考えられます。
戦国時代になると岩屋城が築かれ幾多の合戦の場となり、1586年の合戦では島津氏の攻撃により、高橋紹運ら将兵が玉砕しました。城跡には高橋紹運の忠義を讃える石碑が建立されていて、現在でも多くの人に偲ばれています。近年は里山としても親しまれていて、山中の四王寺村の人々は、麓の太宰府まで通学や商売のために約4㎞の山道「太宰府町道」を通っていました。
現在は荒廃していますが、当時の思い出や風景を後世に伝えるべく、ボランティア「四王寺勉強会」の手で整備がすすめられています。古来より連綿と続く歴史ある四王寺は、多くの人々に守られ愛されながら太宰府を静かに見守っています。
また、四王寺山とは「四王寺山」というひとつの山ではなく、「水瓶山」「大原山」「大城山」「岩屋山」と四つの山を総称して四王寺山と呼ばれます。ゆえに標高は、一番高い大城山でも410mと低山ではありますが、四つの山を回るので、標高よりもタフな登山です。今回は、太宰府天満宮の方から四王寺林道を進み、原山無量寺跡を通って、水瓶山を登り、大原山、大城山、岩屋山と回りました。


浦ノ城跡は、四王寺に行く途中に立ち寄った「浦の城公園」にあります。さすが歴史の町だけあって、住宅街の中の公園にも歴史的なものがあります。

水瓶山側から見た四王寺山です。雲ひとつ無い晴天で山の緑が良く映えます。

原山本堂跡です。右にある看板を拡大したのが下の写真です。



それぞれの石碑の説明です。左下の光で見えない箇所がありますが、この地に移動したということです🪧🫷

黒岩稲荷神社の鳥居です。ここから水瓶山の登山道になります。

黒岩稲荷神社の本堂です。崖のすぐ近くに建っているので、正面からは写真は撮れません。なので、横から手を伸ばして撮影するしか出来ませんでした(^_^;)

水瓶山頂上付近からの景色です。歴史の街というに相応しい太宰府市の自然豊かな景色です。

正平八年銘法華曼荼羅板碑が祀られている祠です。向かって右にある看板がの写真ですが、少し右にずれてしまいました💦
何とか意味は分かると思いますが(。´・ω・)?


水瓶山頂上の立て札です。何となく作りが簡単に見えます(^▽^;)



水瓶山から焼米ヶ原までの開けた山道です。太宰府市街が良く見えます。

焼米ヶ原のすぐそばにある、玄清法印の墓です。玄清法印とは、筑前荒神琵琶を創始した伝説上の人物と言われています。

焼米ヶ原です。この辺りには、10棟の礎石建物跡があり、そのうちの1棟の建物周辺からは黒く炭化した米がたくさん採集されたことから、焼米ヶ原と呼ばれています。



焼米ヶ原の近くには、このようなものもあります。模型ではありますが、当時の様子がイメージしやすいです🤔


焼米ヶ原から大原山の頂上に着きました。ですが、ここは木々が生い茂っていて頂上からの景色は見えません🤣

大原山を更に進んで来ました。ここは「小石垣」です。下の写真が、小石垣の説明板ですが、古くなって木枠から落ちてしまってました。そばではヘビが這っていました🐍


次は、四王寺山で一番標高が高い「大城山」を目指します。深い緑に囲まれた山道を歩いて行きます。

個人的にはこのような水の流れが好きなのですが、上手く写真を撮影することが難しいです😂


この写真も実際には清らかな水の流れですが、雰囲気が出てません💦






小石垣を北に進んだ場所にある「鮎返りの滝」です。何故鮎返りの滝と呼ばれているかは、分かりません(^_^;)
ですが、近くにお地蔵様が多数あることから神聖な場所であると考えられます🤔

屏風岩とありますが、これもよく分かりません🤣




開けた場所に出ましたが、ここは「百間石垣」です。大野城跡には尾根に沿って版築土塁が築かれていて、総延長約8㎞におよび、南北はそれぞれ二重になっています。
また、谷部は石垣を築いて塞ぐ構造になっています。水ノ手石垣、大石垣、百間石垣、北石垣、小石垣などが確認されていて、なかでも最大規模なのが「百間石垣」で、その長さは名前の由来でもある百間(約180m)あり、実際の眺めは写真で見るよりもずっと壮観です。


百間石垣に関する「西の都」の案内板です。この西の都の案内板を見るのも個人的な目的のひとつです。



案内板がありますが、かなり読みづらいです(^▽^;)

更に大城山に向かって進んで行きます。


光の加減で見えないですが、「クロガネ岩城門跡」です。

野外音楽堂です。山の中にある場所ですが、毎年10月に宇美町の主催で「四王寺ロックフェス」が開催されるなど、イベントで賑わう場所でもあります。

屯水水門です。本来は、石垣があり水門はこの石垣の構造の中にあったと考えられています。水門部は極めて大きな石材で組まれており、内部は低い階段状になっています。

大城山山頂付近にある「毘沙門堂」です。普段は写真の通り静かで神聖な雰囲気がありますが、毎年1月3日になると、案内板の写真にあるように参拝客で賑わうようです。



これも大城山頂上付近にある案内板です。こういった現地にある情報を見て、更に知識を増やすことも有意義なことだと思います😌

大城山の頂上です。何故かふたつあります(。´・ω・)?

大城山頂上からの景色です。一番標高が高いだけあって遠くの山々まで見えますし、建物が小さく見えます。標高の高い山の景色の、何処となく果てしない感じが良いです🙂


けいさしの井戸です。円形の石組みで、直径約52㎝、深さ約164㎝、底の直径約73㎝です。石組みは、ほとんど自然のままの石を積み上げた「野面積み(のづらづみ)」になっています。井戸の底近くには、丸太を井戸の「井」の字のように組み合わせています。ですが、「けいさし」という言葉の意味は分かってません。いつ、誰が、どんな理由でこの井戸を掘ったのか、今となっては、分からないそうですが、当時は確かにどこかの誰かが確実にこの井戸を掘ったと思うと、不思議な感覚に陥ります🙃


大城山から最後の岩屋山に向かいます。その途中にある「水城口城門跡」です。この辺りになると、国特別史跡「水城跡」に近い場所ゆえに、関連する史跡があります。歴史と歴史が繋がる感じです🤝





岩屋山に向かって南下するルートは、開けています。上の写真の景色を見ながら南下して行きます。



ここは、猫坂礎石群です。四王寺山には、他にも多くの礎石群があるのですが、今回だけでは、全てを回ることは出来ませんでした。四王寺山には、毎年同じ季節に登ろうと思ってますので、続きはまたの機会に(^-^;

猫坂礎石群の北に「福岡県立四王寺県民の森センター」があります。上は「県民の森管理事務所・学習研修館」です。学習研修館には自然観察のための植物図鑑があって、グループ学習や研修活動に利用出来ます。

こちらは「ワンヘルスの森ミュージアム」です。ワンヘルス、四王寺山の四季、森の働き、動植物などの自然や大野城跡、四天王寺など四王寺の歴史を学べる展示があります。

模型を使って四王寺山の自然と歴史を知ることが出来ます。模型によって全体が把握出来ますし、目で見て理解出来るので分かり易いです。








1階にはこのような案内板があります。

福岡県立四王寺県民の森センターのそばにある「漏刻の池」です。ここを通って最後の「岩屋山」に行きます。





増長天礎石群と増長天に関する案内板です。やっぱり目の前に説明があると分かり易いです🧐

鏡ヶ池です。山の中腹にあるにも関わらずどんなに日照りが続いても水が枯れたことはないと言い伝えがあります。また、日照りが続くときは、この池の底に沈んでいる鏡を取り出して祈ったり、池の中に鏡を投げ入れて雨降りを祈ったと言い伝えられています。

この一帯は「馬責め」と呼ばれています。馬責めとは「馬を訓練すること」の意味で、ここに岩屋城主「高橋紹運」の馬場があった場所という言い伝えがあります。

岩屋山の頂上に着きました。ですが、頂上を示す看板が何と言うかかなり雑です(^_^;)

岩屋城跡の石碑です。岩屋城は四王寺山の南側の中腹に築かれていた山城です。大友宗麟の家臣であった高橋紹運は、立花道雪らとともに斜陽の大友家を支え、1586年、九州制覇を目指す島津氏4万の大軍に対して、岩屋城城主としてわずか700余名で籠城し、援軍として豊臣秀吉の軍が九州に上陸するまでの時間を稼ぐため、最後の一兵まで苛烈に戦い抜き、紹運以下家臣全員が玉砕したと伝わっています。島津軍とありますが、戦国最強説のある「島津義弘」は参戦してなかったようです。そういう問題でわないですね(;・∀・)

このような案内板もあります。




岩屋城跡からは、上のように太宰府市街が一望出来ます。展望範囲が広いため、目の前に広がる景色は絶景です😄


岩屋山を下りてきました。これで四つの山を登って来ました。

坂本2丁目辺りからの四王寺山です。

大宰府政庁跡からの四王寺山です。正に象徴という存在です。
四王寺山の山中には石仏が三十三箇所に祀られています。当時、福岡藩にとっては天下泰平の時代で、櫛田神社の衹園祭山笠も城主、町民一体となって盛り立てていました。ですが、1798年、福岡城下町の大火災で民家千軒が焼失し、翌年には天然痘の悪疫流行、干ばつや豪雨などの天変地異が続きました。このことで、四王寺山一円に石仏巡りの札所を建てて、観音様の御利益にすがって現世の不幸から逃れようとの願いから、博多浜口町の人々が発起し博多、太宰府、宇美の人々が協力して、西国三十三箇所にならい四王寺山全域にわたる霊場建立をなしとげたものと言われています。
山の西側にある毘沙門堂では、前述しましたが、毎年1月3日に毘沙門天詣りが行われ、三十三石仏ととに人々の信仰を集め、また四王寺山を訪れる人々を静かに見守っています。
今回は、三十三石仏のうち、24と30~33以外の石仏を見て回りました。四王寺山には毎年登るので、残りの石仏はまた来年です。他の場所もですが(;^_^A





























いかがでしたでしょうか?四王寺山は、花崗岩山地で、四つの低山が連なっています。山中には福岡県立四王寺県民の森や太宰府市民の森、九州自然歩道も整備され、自然観察、歴史探訪、ハイキングなどその魅力を味わうことが出来ます。初夏の風に白く揺れるオカトラノオ、秋はオミナエシが黄色に輝き、ヤブランは木々の根元を紫に縁取ります。見上げるとその木々も美しい花や若葉、目を見張る紅葉と変化に富み、登山者を魅了します。
是非現地を訪れて、五感で四王寺山n自然と季節の移ろいを体感して欲しいと思います。それでわまた来年(?_?)


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