かつての宿場街を往く🚶‍♂️‍➡️

史跡

どうもです😄

筑前赤間宿は、参勤交代などのため、江戸時代に小倉~福岡~唐津を結ぶ唐津街道沿いに福岡藩主「黒田長政」が整備した宿場で、「筑前二十一宿」のひとつです。

宿場の長さは約600メートルで、南北に傾斜した街筋には町茶屋、問屋場、旅籠、商家が立ち並び、街道に面して往来する人々の喉を潤すため7つの辻井戸が掘られていました。

また、宗像群一帯における中心的な場所にあり、芦屋・波津・鐘崎・神湊・勝浦・津屋崎・福間の七浦から三里ほどの等距離にある為、「七浦三里」といわれ、物資や魚の集散地として栄えました。明治時代になると、石炭産出で賑わう筑豊地方をバックに繁栄し、明治初年編纂の「福岡県地理全誌」によると、農業約30人に対して、商業約300人、工業約50人と記され、大多数が商家で、多くの人々で賑わったと言われています。

今回は、「JR教育大前駅」から旧唐津街道を南下しながら筑前赤間宿の街並みを散策してきました🚶‍♂️‍➡️

これもまた、お得意の「歴史のロマン」てヤツです(;^ω^)

まずは駅からすぐの場所に、須賀神社があります。須賀神社は、赤間宿の氏神社です。江戸期は祇園社と称し、明治になってから須賀神社と改称しました。貴船神社・菅原神社・水神社・恵比須神社も境内に祀られています。毎年7月には祇園祭が行われ、12月にはゑびす座が行われます。

上記の辻井戸は須賀神社の敷地内にあります。

須賀神社の敷地内には、節婦お政の碑と石松林平・伴六の碑もあります。

赤間村に住む政という娘は、父が決めた許嫁と経済的は理由から結婚出来ず、勝浦村の富豪の子息の求婚との狭間で思い悩み、享和元(1801)年に18歳で自害したのを悼み建立されたのが、節婦お政の碑です。

また、石松林平・伴六の碑には、徳重村の豪農石松家十代目の石松林平は、質素勤勉倹約、荒地を開墾植林し農業全書を配るなどした篤農家です。安政の初め、許斐山頂に鐘を引き上げ、時を報じさせました。従兄弟で義弟の石松伴六は五郷赤間滞在時、ねんごろに尽くしたという言い伝えがあります。

奉納砲弾です。台座には、「奉納」「昭和八年五月吉辰」「砲弾八昭和七年上海事変役海軍下士官牧正太郎君ヨリ寄贈セラル」とあります。

赤間上町交差点の近くに、上の写真の「熊越池公園」があります。車で来る場合は、この公園内の駐車場を使うのが便利です。

幕末、攘夷派の公家三条実美らは、京都を脱し長州を経て筑前太宰府へ移されることになりました。この石碑は、その途中の赤間宿御茶屋に25日間滞在したことを記念するものです。

五郷西遷之遺跡碑の近くにある案内板です。

こちらは案内板の裏側です。裏側を掲載しているサイトはなかなか無いのではないでしょうか(?_?)

この御茶屋(本陣)跡が見付からず、しばらく歩き回りましたが、実は中学校の敷地内にありました。なので、残念ながら当時の面影はありません。

御茶屋(本陣)跡でふと振り向くと、城山の景色が良かったので撮影しました。

何となく唐津街道を全体的に撮影した写真です。

出光興産の創業者「出光佐三」の生家と、出光万兵衛の生家です。同じ出光ですが、二人は兄弟でもなければ、親戚でもないようです。DOMOTOと同じようなものでしょうか?(^_^;)

これも、唐津街道を撮った写真です。

これは居酒屋さんです。このような歴史のある雰囲気の店で気心の知れた友人と飲み明かせば最高でしょう🍢🍺

民芸品店「ごえん工房 音誘君舎」さんです。宗像市在住の作家の様々な分野の工芸品が展示販売されています。

桝屋さんです。お菓子の製造、卸、小売販売を続けた家で、「中の問」には「明り取り」があり、横には長いレールがあり、奥行きの深い建物だということがわかります。

出光佐三の展示室です。1937年に出光佐三が宗像大社を参拝した際に、大社の荒廃した姿をみた佐三は心を痛め、宗像大社の復興を決意しました。数億円の私財を投じ、神社史編纂や沖ノ島の学術調査を実施しました。そして、古代祭祀の遺跡や奉納品約8万点を発見するなど、その考古学的価値を明らかにしました。そのことが、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の世界遺産登録の礎になりました。

沖ノ嶋丸です。船体全体を写真に収めるにはこの角度から撮るしかなかったです(^-^;)

これは「街道の駅赤間館」です。街道の駅赤馬館は、宗像市東部観光拠点施設として
2014年11月にオープンいたしました。

赤間館では宗像の観光情報の提供をしていて、宗像の東部地域の歴史資料を展示室で、
唐津街道赤間宿観光ボランティアガイドの会の方が案内くれます。

観光物産コーナーではお買い物を楽しむことが出来、休憩処として喫茶やお食事を
日替わりで提供しています。入館だけなら無料です。

赤間館の中です。この日は人が多く加工が上手く出来ず、変な写真になってしまいましたが、折角なので掲載します。さらっと流して下さい(^▽^;)

これは、赤間館の隣にある「勝屋酒造」さんの中です。やっぱりこれも人が多くこの写真しか掲載出来ません😞

勝屋酒造さんの煙突です。勝屋酒造さんは、1790年に三郎丸(地名)にて創業しました。1873年の筑前竹槍一揆で打壊しにあった後に、現在地に移りました。宗像大社のご神酒「楢の露」や「沖ノ島」の醸造元として知られ、主屋と煙突は国の有形文化財に登録されています。

バックの城山と相まってなかなか象徴的です🏠

これが、もう1か所の辻井戸です。

石松邸(橋口屋)さんです。明治初期の建物で、以前は荒物屋でした。先代は金具職人として蝋燭の金型を作っていました。ちなみにその職人は全国にも数人しかいないそうです。

釣川一番定石です。洪水になりやすい釣川の治水工事は、宝暦の頃に、郡代大森善左衛門が行い、1791年に群奉行富永次郎が延べ26000人を使って浚渫し、川幅の調整が行われました。

赤間宿の石碑です。この石碑には「赤間」ではなく「赤馬」となっています(。´・ω・)?

辻田橋から釣川をみた景色です。

辻田橋から城山を見た景色です。本当は釣川から城山までの一連の景色が天気と相まって最高なのですが、一枚の写真に納まりませんでした😥

赤間宿の石碑から南に進み、赤間小学校前の交差点を右に曲がってすぐに左に曲がって進むと、「田久瓜ヶ坂遺跡」があります。住宅街の中にここ一か所だけにあります。なかなかに貴重で謎が多い遺跡のようです。

赤間小学校前の交差点に戻って更に南に進むと、「節婦政墓」があります。上の説明板による言い伝えがあります。

赤間宿の散策の最後に、「菓子工房&Cafe 椋の木ムック」さんを紹介したいと思います。カフェとしてケーキをイートインしたり、洋菓子を買うことが出来ます。どこか好さ気な店がないかとGoogleマップを見ていた時に見付けました。なかなかお洒落な雰囲気です😊

ちなみに、ムックさんですが、ガチャピンはいません‪(ΘϖΘ)

店内です。こじんまりとしていますが、落ち着いた好い雰囲気です。ケーキがかなり魅力的ですが、持って帰ることが難しいので今回は(も)洋菓子を3つほど買いました。

椋の木ムックさんを訪れた芸能人の方々です。皆、福岡県を代表する芸能人です。偶然見つけた店でしたが、知る人ぞ知る名店だったようで満足です。

また、赤間宿を訪れた日は、毎年開催されている「唐津街道 赤間宿まつり」の日で、街道には想像以上に数多くの人々が訪れていました。各店舗で特別セールを行っている他に、フリーマーケットのような形で物品を販売しているところもありました。10:00からはパレードも始まって、街道を移動するのも、店舗の中を見て回るのも大変でした😫

ですが、時には賑やかな雰囲気を体感するのも良かったと思います。

いかがでしたでしょうか?宿場町と言えば、やっぱり五街道が有名かもしれませんが、福岡県にも魅力のある宿場町はまだまだあります。今後も各地を訪れたいと思ってますので、その時はまた掲載します📷

それでわまた次の旅でε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

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