令和の里 ~道真の足跡を辿る~

史跡

心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん( ̄▽ ̄)

…と言う訳で、福岡県太宰府市は令和発祥の都でありますが、また学問の神様で「天神様」として有名な「菅原道真公」のゆかりの地としても昨今では知られるようになってきました。すでにご存知の方もおられると思います。

太宰府天満宮は以前に紹介した通り福岡県で最もメジャーな観光地のひとつで、ほとんどの方がご存知どころかすでに一度は訪れたことがあるのではと思います。ですが、太宰府市と、その隣の筑紫野市には太宰府天満宮以外にも道真公に関わりがある興味深い場所がいくつもあります。

そこで、今回は道真公の足跡を辿りながら令和由来の地の悠久の時の流れを感じる旅をお届けします。

この針摺石(看板の左側の高い方の石)は筑紫野市の住宅街の中にあります。「西鉄朝倉街道駅」から北に徒歩6分の場所にあります。歴史的に超有名な道真公が立ち寄った場所に時を超えて自分自身が立っているということに何とも不思議な感覚になります。

この鯰石は駅からは少し距離があって、場所も説明し辛いのですが、Googleマップに掲載されています。住所としては、筑紫野市二日市北8丁目になります。この鯰石も針摺石と同じように住宅街の中にひっそりと佇んでいます🪨

ここにも道真公に関する伝説が残っていることに歴史のロマンを感じます。それに学問の神様として有名な道真公ですが、何と刀の腕も達人級だったということですから、文武両道だったということでしょうか?何とも凄い話です。

そんな知られざる逸話を知ることが出来るのも、このブログの醍醐味だと思ってます(^▽^;)

次は「鍬の江橋」です。場所は、「西鉄紫駅」東口を出て線路沿いに進んで、2番目の踏切を左折して進むとあります。駅からは10分ほどです。この鍬の江橋ですが、「筑紫野市史民俗編」には以下の道真公に関する話が伝わっています。

道真は高尾川と呼ばれていたこの川にさしかかった折、橋がなくて渡れずに困っていました。その時通りかかった農夫がとっさに鍬の柄をさしだして橋の代りにして道真を渡したということです。それ以来、高尾川は「鍬柄川」とも呼ばれるようになり、のちに架けられた橋は「鍬柄橋」と呼ばれています。

高尾川は、夏になると子供達が魚を捕まえたり、川遊びをする姿が見られます。私も放課後や休日にはよく高尾川で遊んだものでした🤣

この辺りは、「大宰府条坊」と「推定朱雀大路」があった場所ということで、上記の案内板があります。場所は大宰府政庁跡から県道581号線を南に進んだ場所にあります。現在は住宅地となっていて残念ながら当時の面影はありません。ですが、その場所を眺めながら当時の情景を思い浮かべるのもまた楽しみ方のひとつだと思います。

以降の場所は南下しながら進んで行きます。

この「清明の井」は、上記の大宰府条坊と推定朱雀大路の案内板から4分ほど歩いた場所にあります。道真公に関する場所ではありませんが、近い場所にあるので併せて紹介します。

安倍晴明も日本の歴史に於いて道真公に負けず劣らずの超有名人ですが、その清明に関する場所が住宅街にぽつんと存在しているのも驚きです(;゚Д゚)

581号線を更に南に進むと、「南館跡」と「榎社」があります。南館跡は、大宰府に左遷された道真公が、903年に亡くなるまでの間、居所となった官舎です。漢詩集「菅家後集」に「南館」と記されています。榎社は、道真の霊を弔うために建立された浄妙院が後に榎寺と呼ばれるようになり、現在は榎社になったということです。

道真公の娘の「紅姫」の供養塔です。紅姫は道真公と共に大宰府に来たとされてますが、その後については定かではありません。

浄妙尼社です。道真公が刺客に襲われた際に近くの麹屋に逃げ込みました。罪を言い渡された人間をかくまえば、自分にも罪が及ぶかもしれないのですが、その家のおばあさんは、道真公をもろ臼の中に隠し、その上に洗ったばかりの腰巻きをかぶせて刺客の目をごまかしたと言われています。

道真公の命の恩人であるこのおばあさんは、その後も道真公の住処へと足を運び不自由な暮らしをする道真公の世話をしたとされています。その時、麹の飯を梅の枝に添えて差し入れたものが、今に伝わる「梅ヶ枝餅」の始まりとされています。

後におばあさんは、浄妙尼と呼ばれ人々に敬われました。榎社の背後には、浄妙尼を祀る社があります。現在でも、太宰府天満宮の祭事のうちで、最も大切な祭りである「神幸式大祭」の折に、道真公の神霊を移した神輿が、まず浄妙尼の祠にお礼に訪れます。

今や太宰府市で最も有名と言っても過言ではない名物の梅ヶ枝餅の起源がここにあるということは、あまり知られていないかもしれません(´・ω・`)

これが榎社です。道真公はこの地で亡くなるまでを過ごしました。そして、死期を悟った際に、牛を引かせその牛が立ち止まった場所に自らの墓を建てることを命じた場所が、太宰府天満宮なのは有名な話ですが、その出発の地がこの場所です。

榎社の近くの道沿いにはこのような案内板があります。そのまま気付かずに通り過ぎてしまいそうですが、こういったものにも目を通してみるのも良いのではと思います。

鶴の墓です。榎社の向い側にあります。昔々、飛騨の匠が木で大きな鶴を作り、その鶴の背に跨り空に舞い上がりました。鶴は中国まで行きましたが、日本に帰る途中で現地の人間に怪しんで鶴に矢を放ちました。

鶴は何とか大宰府のあたりまで飛んで来ましたが、力尽きた鶴は榎社の近くに落ちました。匠は、鶴を愛おしんで、そこに手厚く埋葬し、故郷の飛騨に帰ったという話が伝わっています。

榎社から東に3分ほど歩くと、納骨堂の敷地内に隈磨公の墓と六弁の梅があります。隈磨公は、道真公の息子です。紅姫と共に道真公と大宰府に来ましたが、十分な食事もままならない苦しい生活によって、隈麿公は大宰府に来た翌年の秋、病のために亡くなってしまいました。

六弁の梅は、かつて幹がひと抱えあるほどの大木で、枝も大きく広げていました。初夏には一斗五升の梅の実が採れ、その実を榎区が入札を行い、区の収入としていました。しかし、老木だった梅は昭和30年代に枯れてしまいます。そこで、隈磨公の墓の世話をしていた夫妻は、自分の畑に育っていたその梅の種から芽生えた梅を、墓の横に植えなおしました。それが、現在の六弁の梅です。

隈公の墓の割合が多くなって梅があまり写ってないですが、よく見ると花咲いている梅がお分かりいただけると思います(^_^;)

隈磨公の墓を引き返して榎社まで戻り、踏切を渡って道沿いに進むと(右回りでも左回りでもどちらでも行けます)、飛梅の原木があります。太宰府天満宮本殿脇にある原木は、この地に飛んできた飛梅を移植したものです。この原木も住宅街どころか、個人宅の敷地内にあります( ゚Д゚)

ただ、門の近くにあるので素早く見るだけなら何も言われません😅

飛梅の原木から西鉄大牟田線に戻って線路沿いに西に進むと、「大宰府客館跡」があります。客館とは、奈良時代から平安時代初頭に外国使節が滞在した館です。ここでのおもてなしを示した日本や唐、新羅の最高級の食器が出土しました。日本・東アジアの古代の外交にかかわる重要な遺跡で国の特別史跡大宰府跡に指定されています。2020年5月には史跡広場が完成し、展望所からは史跡や周辺の山並みを一望出来ます🤓

また、日本遺産「西の都アプリ」を現地でつかうと、VRで1300年前の大宰府政庁を体験することが出来ます。興味がある方は是非現地にお越し下さい(;^ω^)

客館広場には所々にこのような案内板があります。広場を散策しながら当時の状況を知ることが出来ます( ..)φメモメモ

西鉄二日市駅の方面を見た景色です。

西鉄二日市駅から見た景色です。前述の通りVRを使えば当時の景色を体験出来ますが、ここは敢えてVRは使わずに、目の前に当時の景色を想像することで、歴史のロマンを感じるのもまたしみじみとして赴き深いと思います🙃

展望所に掲示してある案内板です。一応掲載しましたが、字が小さくて読めないかもしれません。是非現地に読みにお越し下さい😅

上の3枚は展望所から見た客館跡の景色です。ここから歴史の風を感じながら悠久の時の流れに想いを馳せるのもお勧めです😑

客館跡から西鉄太宰府線に沿って北に進んで、最初の踏切付近です。ここにも朱雀地域の説明板があります。

線路沿の踏切手前の風景です。何となく気に入って撮影しました。

ここにも、道真公の娘の紅姫の供養塔「五輪種子石塔」がありますが、上の写真の公園にひっそりと佇んでいます。この公園も住宅に囲まれた場所にあるので少し分かり難いです。地図を見ながら歩道と呼ぶにも狭い道を進むとあります。

ここは、「本殿跡台座(菅原神社)」で、道真公を祀る神社とされてますが、いつ建立されたなどの由来は不明です。何となく物悲しい気がします😞

この道は、道真公が無実の罪を訴えるために天拝山へと行く時に通った道です。西鉄二日市駅の西口を出て、35号線を右に向かって進むと、「六反」の交差点があります。右折して進むと、左側にある脇道です。約千年前に道真公が通った道を時を超えて私自身が歩いていると思うと感慨深いです😦

反対側から見た景色です。道真公が通った道と言われなければ普通の住宅街の道にしか見えないでしょう(;・∀・)

日本史上の超有名人にして「天神様」という神様としても崇められる、菅原道真公に関する様々な場所を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

歴史の授業で習うことしかない道真公が、かつては存在した場所に時を超えて自分自身がその場にいることが、考えるほどに感慨深いです。

是非、実際に現地を訪れて、悠久の時の流れの奥深さと歴史のロマンを感じて欲しいと思います(* ̄- ̄)

なお、道真公に関する場所に、最も有名な「天拝山」があります。天拝山は、平安時代に昌泰の変で大宰府に左遷された時に、自らの無実を訴えるために何度も登頂した山です。

天拝山だけでもかなりの数の写真スポットがありますので、天拝山は道真公の後編として、6月頃を目標にアップを予定しています。何故に6月かというのは、掲載する時にお伝えしたいと思います😙

それでわまた次の旅で( ´Д`)ノ~バイバイ

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