最南端の街🏗️(3/3)

史跡

大蛇山Σ( ̄□ ̄|||)

大牟田市と三池炭鉱巡りの最後は、「三川坑跡」とその周辺です。言ってしまうと、三川抗は世界遺産の構成資産ではないのですが、三池炭鉱の主力抗のひとつであり、また「大分麦焼酎二階堂」のCMのロケ地でもあるため、是非訪れたいと思った場所です。

今回は、三川抗跡と隣接する「三井港倶楽部」「大牟田市三池カルタ・歴史資料館」に行って来ました。

三川抗跡の入口です。三川抗跡の公開日は「土日祝」だけです。先日は、平日の人が少ない時に行けばのんびり見られると思って見事に失敗しました。今回は土曜に来ましたが、人は数人しかいませんでした(^▽^;)

入口左にある案内板です。

入口を入ってすぐの場所です。駐車場は左側にあります。

敷地内は木々が多くて良さげな場所です。

ここでは、土産が売っていたり、写真や模型が展示されています。内部は三川抗を見た後で来ようと思いますので、まずは三川抗に行きます🚶

昭和天皇御巡幸の記念に造られた庭園ということですが、古き良き旅館の雰囲気を感じます(* ̄- ̄)

ここにも、電気機関車があります。しかも、主力抗らしく4台もΣ( ̄□ ̄|||)

第一斜坑と第二斜坑の坑口です。実際にここから入って見学します。

入昇降口の説明です。外れたのをここに置いてあるのか、これで正しのか分かりません🤣

左のヘルメットは何の理由で置いてあるのでしょうか🤔

坑内通路です。実際の高さは1mほどです🙇

どの炭坑もそうでしたが、炭坑には独特な匂いがあるのを感じます。ただ古いからということではなく、長い時間を経て、そこで様々な活動が行われてきたことを証明するようなものだと思います。匂いだけは現地に行かないと感じることは出来ません。是非現地を訪れてその場ならではの匂いを感じて欲しいです😮‍💨

搭乗の搭がひらがなですが、理由は分かりません(?_?)

この今では動かなくなった人車もかつては、現役で活躍していたと思うと不思議な感覚になります😌

坑内から出てきました。左の小屋から出てきたということです。

このように線路が伸びています。

椅子に座っているのは作業員の服装をした人形です😆

これらの朽ちてしまっている機関車に時代の流れと趨勢を感じます。

繰込場です。今ではこんなになってしまってます😂

三川抗炭塵爆発慰霊碑です。今日の安全対策が徹底されているのは、過去に犠牲になった方々がいるからだという事実を忘れてはいけません_(._.)_

これは決して放置されているのではなく、れっきとした展示です😂

この写真は、二階堂のCMに使われたものと同じものを撮った写真です。個人的にこの風景に興味を持って、見てみたいと思っていた場所です。このタンクを見て何故か「どこか遠い最果ての場所」という印象を持ちました。調べてみたら意外と近所でしたが(^▽^;)

それぞれの机やロッカー、機械や計器を見ると当時の炭鉱作業員の威勢の良い声が聞こえてきそうです🙉

第二巻揚機室ですが、こちらも時代の流れや趨勢を感じますし、かつては活気に満ちていたと思うと何とも感慨深い思いになります🙂‍↕️

これらの写真は施設の裏側から回って撮影した写真ですが、こちらもなかなか言いづらい感じになっています😂

三川抗跡から戻って来て、MIKAWA-Pitの中を見て回ります。ここは、土産が売っていたり、軽く食事も出来る場所です。

三川抗跡の映像や模型や写真が展示してある部屋です。

かつて三川抗で起こった出来事についての展示です。様々な歴史を経て現在の三川抗がありますし、ひいては日本の近代化があったと言うことでしょうか🤔

更に奥にはこのような模型の展示があります。

次は、三井港倶楽部です。明治41年に先に紹介した三池港の開港と時を同じくして誕生しました。三井財閥の社交場、外国高級船員の宿泊接待所として活用され、昭和天皇や秋篠宮殿下のほか、伊藤博文や井上馨といった政財界の重鎮も訪れた、大牟田における三井の迎賓館でした。

現在では、フレンチの巨匠坂井宏之シェフ監修の本格フレンチレストランと結婚式場として利用されています。

團琢磨の銅像です。改めてになりますが、三井財閥の総帥にして三池炭鉱の経営者だった人物です。

ローズガーデンと言うことで、どことなくヨーロッパの雰囲気を感じます🙂

建物もやはりヨーロッパ風の雰囲気です。入るのには敷居が高そうです😅

建物に入ってすぐのロビーですが、いきなり敷居が高いです。完全に場違いです🤣

改めて、全てが場違いですし、何故か見学者が誰もいません🤣

昭和天皇が三川抗を見学なされた時の写真や、その時に使用されたキャップランプが展示されています。

部屋の奥側です。椅子やテーブルは立入が禁止されています(;゚Д゚)

三川抗跡を後にして、大牟田市三池カルタ・歴史資料館に来ました。この「カルタックスおおむた」の2階にあります。

「ともだちや」の銅像です。ともだちやは大牟田市出身の絵本作家、内田麟太郎さんの大人気絵本シリーズです。

カルタは、ポルトガル語で四角い紙や手紙を意味しています。カルタの歴史には謎が多く、その起源は今も特定されていません。各地に残る記録から、すでに14世紀には、ヨーロッパ全土に広まっていたと考えられます。その中で国や地域によって様々な枚数やマークのカルタが考え出され、この時にタロットカードも派生したと考えられています。

日本にカルタが伝来するのは16世紀末、安土桃山時代のころです。ポルトガルから伝えられたカルタを元に日本で作られた「大正カルタ」が、滴翠美術館(兵庫県芦屋市)に所蔵されています。大正カルタ全48枚のうち、現在残っているのは「棍棒の王」1枚だけですが、日本最古の国産カルタとして大切に保存されています。その裏面に「三池住貞次」と記されています。このことから、大正カルタは筑後国・三池、今の大牟田市域で作られたと言われています。

日本のカルタは、平安時代からの貝覆いや貝合わせなどの「合わせ」の文化とポルトガルから伝来した「カルタ」が融合することで誕生しました。江戸時代初期に小倉百人一首、伊勢物語、古今和歌集、源氏物語などの和歌が用いられた「歌カルタ」が誕生し、中期には現在のカルタに繋がる「いろはカルタ」が登場します。

この時は、上の写真の企画展が開催されていました。

残念ながら、大牟田市三池カルタ・歴史資料館は館内は撮影禁止です。なので、パンフレットから一部を引用します。

このカルタは、「棍棒の王」です。

大牟田市では、1991年に神戸市立博物館が所蔵する「大正カルタ版木重箱」をもとに「大正カルタ」全48枚を蘇らせました。このカルタは、当時の色彩や料紙を研究し、京都のカルタ職人の手によって制作されました。かなり見難いですが(^_^;)

最後に!!!これが前回、世界遺産検定認定証を忘れてもらい損ねたクリアファイルです。まず最初に万田抗に行ってこのクリアファイルをもらいました(´っ・ω・)っ💳

いかがでしたでしょうか?今回は大牟田市の中から、三池炭鉱とその周辺を散策しました。ですが、大牟田市には他にも数多くの観光スポットや面白そうな場所があります。またの機会に大牟田市の他の場所にも訪れたいと思っています。まだかなり後になりそうですが(;^_^A

それではこれにて、また次の旅で👋

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