傀儡子の舞Σ(・ω・ノ)ノ!
吉富町に行って来ました。吉富町は福岡県の東端にあり、県境を流れる山国川を挟んで大分県中津市と接する、面積5.72㎢と「九州で一番小さい町」です。
南北3㎞、東西2㎞と車で走れば5分ほどで通り過ぎてしまえるくらいですが、海に面していて、自然にも囲まれた静かで穏やかな雰囲気を感じますし、「細男舞・神相撲」という独自の伝統もあるなど、小さいながらも魅力を感じる町です。
電車で来る場合は「JR日豊本線 吉富駅」、車で来る場合は同じく吉富駅のロータリーにコインパーキングがあります。
今までに福岡各地のスポットを紹介してきましたが、町丸ごとを紹介するのは初めてですし、なかなか無いことだと思います。それだけに緊張感が高まります…嘘です(^▽^;)

吉富駅です。上にあるゆるキャラは、吉富町応援団長の「かみんくん」です。吉富町散策は、吉富駅をスタートにすると分かりやすいですし、何かと都合が良さそうです🙂

駅前にある「細男舞・神相撲」についての案内板です。地域独自の伝統文化を知ることは有意義です😊

吉富町は、黒田官兵衛ゆかりの地ということで上のような案内板もあります( ゚Д゚)


吉富駅から北東に5分ほど進むと「山国橋」があります。この橋を渡ると大分県です。



この川は「山国川」ですが、この辺りを小犬丸渡しと言います。山国橋から北に少し進んだ場所にあります。すぐ近くに海があるからか、壮大な眺めです。

ここからは「八幡古表神社」です。吉富町のシンボルでもあり、神様が相撲を取る町として有名になったのは、この神社の放生会という祭りで奉納される冒頭でも触れた「細男舞・神相撲」が由来です。















八幡古表神社を出たら、海沿いを南西に進んで行きます。周防灘の水平線を見ながらの散策は気分が良いです😁

何気ない川の風景ですが、水の透明度と両岸の木々が気に入って撮影しました📸

これも深そうな草木とバックの木々に目が留まって撮影しました🙃


山国川の反対側にある「佐井川」と遠くの山々の景色です。思えば遠くに来たな~という思いになります(^_^;)


周防灘から電源道路に入って道に沿って進むと、大きくカーブしますが、そこから右に曲がって進むと「皇后石」があります。自然崇拝だけではなく、海の神を祀る祭祀跡としても考えられているとは、地域の信仰にとってかなり重要だと言えるでしょうか(?_?)

皇后石の裏にある祠です。よく分かりません😂

皇后石はこの巨木の下にあります。

川から海につながる場所です。意外と普段考えることはないと思いますし、見る機会もそこまでないと思いますので、何気に珍しい景色の写真だと思います🤔

皇后石から南に進み、下住環通りを西に進むと「佐井川橋」があります。佐井川橋も近代文化遺産ですが、案内板はありません😦


西側の小倉藩領と中津藩の境界を示した藩界石です。この藩界石は個人宅の庭にあります。ゆえに写真を撮影する場合は、注意が必要です🤣


御界川です。橋の側に境界の変遷と領地の交換についての説明板があります。大分県との境界は、山国川ですが、豊前市との境界は、佐井川ではなくこの御界川になります。

佐井川橋を引き返して南に進むと「直江」の交差点がありますので、更に進むと「八坂神社」があります。「従是東中津領」と刻まれた、中津領を示す藩界石があり町指定建造物となっています。


藩界石です。



八坂神社を出て、さくらほほえみ通りを右に曲がってしばらく進むと、今度は「壺神社」があります。祭神は木花開耶姫で安産の神様とされています。









壺神社から元の道に戻り、更に南に進むと、国指定重要文化財となっている「薬師如来坐像」を本尊とする「鈴熊寺(れいゆうじ)」があります。この鈴熊寺は鈴熊山公園の敷地の中にあります。この参道入口から入って、公園の反対側に出るコースを行きます。


本堂に行く途中にある「涅槃石」です。横たわる釈迦臨終の姿に悲しむ弟子達の姿が刻まれています。こんな巨大な石をどうやってここに持ってきたのでしょうか、謎です(。´・ω・)?



鈴熊寺の本堂です。何故かラジオ放送が流れていました(;・∀・)








ここは鈴熊山公園の入口です。この公園は、豊かな自然との一体感も満喫出来ることから「ふくおか森林浴百選」にも選ばれています。

入口の階段を上った広場からの景色です。吉富町を一望出来ます。




鈴熊山公園の全景です。鮮やかな緑が壮観に見えたので撮影しました📸

鈴熊山公園を更に南に進むと、「貴船神社」があります。貴船神社は、別府の氏神である高龗神
(雨を司る龍神として信仰)を祭神としています。普段は静かな様子ですが、毎年9月末から、神楽奉納が催されるということです。

貴船神社の本殿です。かなり小さいです(^_^;)

この祠は、詳しくは分かりませんが、宗像三女伸を祀っているらしいです。


貴船神社を出たら、最後に天仲寺公園を目指します。来た道を戻って金鈴通りを右に曲がって進みます。上の2枚の写真は、金鈴通りから撮影した天仲寺公園の全景ですが、上が南側で下が北側です。天仲寺公園も鈴熊山公園と同じように自然が豊かです🌳🌳🌳




まずは、天仲寺公園の南側から入って、小高い山を上って行くと「夫婦木」があります。クスノキとシラカシという、種類の違う木が寄り添うようにして生えています。人の手は一切入ってない自然のままの神秘的な形です🤗

夫婦木の側には「中津藩4代藩主小笠原長円」「中津藩2代藩主長勝の長男小笠原長美」の墓があります。上の写真は、中津藩4代藩主小笠原長円の墓です。

中津藩2代藩主長勝の長男小笠原長美です。

夫婦木の側には、もうひとつ上の五輪塔がありますが、誰のものかは不明です。



山を上った一角にある「天仲寺古墳」です。この天仲寺古墳がある場所は、かなり狭く、傾斜がかなり急な崖にあります。それゆえに、正面からは全体の写真が撮れないくらいでしたが、そんな傾斜で古墳に使う巨石をどうやって運んだのか不思議です(?_?)

この燈籠はよくは分かりませんが、後述する返還された小笠原燈籠のひとつのようです。

初代中津藩主小笠原長次の墓です。


天仲寺公園の頂上からの景色です。こうやって見ると、改めて吉富町は、自然が豊かでのどかな町だと感じます🙂


瑜伽稲荷神社です。木々の間から木漏れ日が差していて神々しいです🌤️

このような説明板もあります🤔


天仲寺山観音堂です。更に山を下りていきます。




石造観音坐像、石造地蔵立像、石灯籠です。案内板にあるように、これらが所有者からこの地に移設されたのは令和8年3月とつい最近です。同じ場所でも、時代の流れによってその姿を変えるということですから、1回行って終わりではなく、度々訪れてその時その時の姿を見るのも一興かと思います🙂

南側を下りてきて、次は北側に入ります。北側も南側同様に、自然が豊かな小高い山です。

入口には、このような案内マップがあります🗺️



広運寺古墳です。看板を読むと遺跡の発掘が如何に難しいかが改めて分かります。そう考えると特にピラミッドの発掘の緊張感は計り知れません(^_^;)

事比羅神社です。

平和観音です。

剣心一致の碑(島田虎之助修練の地)です。島田虎之助は、勝海舟の師として知られている人物で、「幕末の剣聖」と呼ばれているかなり偉大な人物です(;゚Д゚)
そんな偉大な人物が修行した場所が福岡県にあるとは驚きですし、誇らしいです😤

この碑文は読んでみた感じでは、島田虎之助について書かれたものの様です。
天仲寺公園を後にして北に進むと、JR日豊本線の線路が見えてきました。地図では線路を越えて左側にスタート地点の、吉富駅があるはずです。線路を越えて左側を見ると、そこには見た光景が!!!
そこには、吉富駅の駅舎がありました。吉富駅をスタートして、吉富町を左回りで一周してまたゴールの吉富駅に戻って来ました。
何と言うか、来た道を戻って来るだけだったらそうは感じなかったかもしれませんが、違う道からスタート地点に戻って来ると、「やっと戻ってきた~」と言うか、大袈裟に言うと「冒険が終わった~」というような感慨深い思いになってしまいました🤣
皆さんの場合はどうでしょうか?私だけでしょうか?
※※※※※
いかがでしたでしょうか?九州で一番小さい町と紹介しましたが、こうやって見ると、自然が豊かで歴史的にも重要なものが数多くある見応え充分な町だと思います(・∀・)ウン!!
そんな吉富町には、町に住んでいる人でも知らないような史実や言い伝えがあるようです。ここでは、3つほど引用して紹介します。
エピソードその1 ~座ったまま見守る中津藩主小笠原長次公~
領内を一望出来、中津城を見渡せる天仲寺山を誰よりも愛したと言われている中津藩の名君、小笠原長次公。1666年に亡くなる際には「甲冑を纏わせ太刀を帯し、払子を持たせて天仲寺山に葬れ」と遺言します。その後、1974年の公園整備に伴い、天仲寺の五輪塔の下を掘り下げたところ石棺が現れ、蓋を開けると、まるで「我が領地ぞ」と言わんばかりに中津城を向き、座った状態で、遺言通りの姿の長次公が確認されました。蓋はそのままの状態で再び閉じられたため、今でも長次公は天仲寺山から領地を見守り続けていると言うことです。
エピソードその2 ~吉富町に漂う不気味な光~
江戸時代に、中津城下町の出来事を記録した「惣町大帳」には、1771年に小犬丸の川原に「一丸の赤光が飛び出し、東南方向に落ちるのを弥四郎が見た」との記載があり話題を呼びました。また、1963年刊行の吉富町誌には著者が少年の頃に「篠塚山で、間隔を開けた狐火が10ヶ所程灯り、順次、消えていくのを見た」とも記載があります。丑三つ時にそっとカーテンを開けると、見えるかもしれません。
エピソードその3 ~藩も夢見た”ヨシトミンドリーム”~
鈴熊山は別称”金華山”と云い、「金鉱があり、金の蔓が見える」などの話や、その南の楡生山は白雲母が埋まっているとの噂から”銀華山”とも云われていました。江戸時代の1806年に中津藩では、金脈を探そうと、鈴熊山に試し掘りを行いますが結局見つかりませんでした。「一攫千金!ヨシトミンドリーム!!」を夢見たい気持ちは分かりますが、決して無断で掘ってはいけません。
以上です。信じるか信じないかはあなた次第( ̄▽ ̄;)
それでわまた次回👋


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