日本史の起源(゚Д゚;)

史跡

古代への時間旅行ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

先日、「春日市 奴国の丘歴史資料館」に行って来ました。奴国の丘歴史資料館とは、国指定史跡「須玖岡本遺跡」の一角に造られた歴史公園内にある資料館です。他にも弥生時代の甕棺墓などを発掘調査時の状態で展示しているドームや奴国王の甕棺墓を覆っていた王墓の上石が移設展示されています。場所は、「JR鹿児島本線 南福岡駅」から西に徒歩20分の所にあります。

福岡県春日市は弥生時代の宝庫です。王墓が存在し、青銅器などの生産工房が密集する須玖岡本遺跡とその周辺は、奴国の中心地だったと推測されています。奴国とは、西暦57年、中国の光武帝から金印を与えられたことが中国の歴史書「後漢書」倭伝に記されています。日本で最初にその名が中国の歴史書に登場した国です。その範囲は、福岡平野一帯とされていて、須玖遺跡群が奴国の中心地と言われています。その須玖岡本遺跡群の中でも「須玖岡本遺跡」が特に重要な遺跡です。

「奴国の王都」とも称される須玖遺跡群の中核的な遺跡が須玖岡本遺跡です。須玖岡本遺跡は須玖遺跡群の北部、現在の岡本7丁目周辺に広がる遺跡で、地形や遺跡の種類によって、坂本地区、岡本地区、盤石地区、岡本山地区に分かれています。坂本地区は、「奴国の官営工房」とも称され、数多くの青銅器を作成したことが分かっています。岡本地区は、王墓や王族の墓地です。盤石地区は、集落や工房の存在が考えられています。岡本山地区は、一般民衆が主体の遺跡です。

歴史資料館の他、この4地区の周辺の写真も紹介します。また、歴史資料館では、1月17日~3月8日までの間、「春日の昭和100年史」が開催されていて、自然豊かな農村だった春日村から、春日町を経て、県内でも有数の住宅都市に発展した「春日市100年の歩み」を、住民の暮らしの移り変わりに関する様々なものが展示されています。

土器のパズルです。遊んでは無いです(^▽^;)

ひな祭りの展示と説明です。春日市がひな祭りの特別な場所という訳ではなさそうです🤣

王墓の北側一帯には青銅器やガラス製品を生産していた工房跡が集中して発見されています。当時の先進技術が結集したこの地は、弥生時代のテクノポリスと呼ぶに相応しいです。須玖岡本遺跡の周辺からは、銅剣、銅矛、銅戈、銅鏡、小銅鐸、銅鏃などの鋳型や坩堝や銅滓などの青銅器生産関係の遺物が多量に出土しているほか、鉄器生産を示す遺跡も見つかっています。

ここは、民族資料展示室です。

全ての展示がガラス越しではなく、直接間近で見ることが出来るのでかなりの見応えがあります😮

展示ホールの「奴国王墓」のジオラマです。ガラス越しなので、ガラスに背景が映り込んでいて若干分かりつらいですが、この王墓は明治32年に須玖岡本遺跡の一角で発見された甕棺墓です。集団墓から離れて単独で存在することと、副葬品の質と量などから、奴国王の墓と考えられています。ちなみに中国の皇帝から「漢委奴国王」の金印を授かったのは、この王墓の被葬者より数世代後の王です。歴史の授業で習う有名な王よりも昔の王の墓が発見されたということに驚きを感じます(;゚Д゚)

特別展示室です。前述の通り今現在は「春日の昭和100年史」が開催されています。

昭和レトロなノスタルジックなものを感じます🙂‍↔️

やっぱりここにも戦争の記憶があります🙏

どこか昔懐かしい人里離れた田舎の風景が思い浮かびます。ポットなんかは、子供の頃の夏休みの昼下がりに冷たい麦茶を入れて飲んだあの日の夏が思い出されます。

私もいきなりおっさんで生まれてきた訳ではなかとです( ー`дー´)キリッ

これらのものも、もはや博物館に展示されるものになってしまったことに諸行無常を感じずにはいられません(゜-゜)

ここからは、考古資料展示室です。ここにも当時の貴重な展示が数多くあります。

もはやお馴染みの甕棺墓です。この甕棺墓は、死者の再生を祈ったと考えられる埋葬方法です。当然ながらこれは、エジプトのミイラと同じ考え方です。エジプトと弥生時代の福岡県民の考え方が同じだったとは何とも興味深いです😲

歴史資料館はここまでです。次は歴史公園内を見て回ります。

甕棺墓を発掘調査時の状態で展示しているドームです。右がA棟、左がB棟です。

ここは、A棟内部です。甕棺墓と祭祀土坑が見学出来ます。

ここは、B棟内部です。甕棺墓、木棺墓、土坑墓が見学出来ます。

歴史公園を出て周辺の、奴国の王都に関する場所を見て回ります🚶‍♂️

熊野神社は岡本の産土神で、見晴らしの良い小高い場所にあります。江戸時代に発見された銅矛鋳型は神社に奉納されて、神宝として氏子によって保管されています。

前述の王墓が実際に発見された場所です。住宅街の中の、言われなければここが歴史的に重要な発見がなされた場所とは分かりません(;・∀・)

この説明看板は春日北小学校の校庭のフェンスの手前にあります。坂本地区は、銅矛や鏡などの鋳型やるつぼ、銅滓などの青銅器生産を示す多数の遺物が出土していて、その数は他の遺跡を圧倒しています。国内最大規模の青銅器工房跡で、青銅器やガラス製品の生産は当時の最先端であることから、「弥生時代のテクノポリス」と言われています。

…画面の右下に何者かの影が映り込んでいますが、気にしないで下さい(;^ω^)

岡本地区は、王や王族の墓地で、青銅器や玉などの副葬品を持つ墓が高い比率で発見されています。王族墓エリアでは墳丘墓が確認され、墳丘墓には複数の甕棺が埋葬されています。この墳丘墓の積土を剝ぎ取った土層標本が歴史資料館に展示してあるものです。

この須玖岡本遺跡は現在も発掘が続いています。須玖岡本遺跡岡本地区に墳丘墓があったことは、7次調査で明らかになりました。また、奴国王墓も墳丘墓であったと考えられいます。さらに、丘陵の西や斜面や1・2次調査の西部は、副葬品を有する墳墓が多いことなどから未確認の墳丘墓が存在した可能性が高く、墳丘墓は複数並んでいた可能性があります。今後の調査により、別の墳丘墓や57年に金印を授かった奴国王の墳墓が見つかることが期待されています。

また、青銅器の大量生産が出来たのは、奴国王の関与を想定していましたが、王や王族の居住域の候補地は坂本地区北側の須玖坂本B遺跡を考えています。縁辺部の発掘調査しか行っていませんが、青銅器工房や海外からもたらされた遺物も出土しています。今後、王や王族の居住などの特殊な建物や市場などの発見が期待されます。

…だそうです(^▽^;)

何となく似たようなスポットが続いていますが、そのくらい歴史的に重要な場所だということです(?_?)

それに、メジャーな観光地は他に任せて、このブログではメジャーな観光地に隠れがちな、でも一見の価値は充分にある知られざる場所を紹介するのが目的なので、相応しいスポットだと思います。

それでわまた次の旅で🤸

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